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カントの『純粋理性批判』をわかりやすく解説

2022年6月25日

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こんにちは、米澄岳弥(Yonezumi Takaya)です。
今日は、哲学書の中でも最も難解と言われるカントの『純粋理性批判』をわかりやすく解説します。

カントの『純粋理性批判』をわかりやすく解説

カントの主張:認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う

カントが『純粋理性批判』の中で主張していることはこれです。

認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従うことで私たちは現象を認識できるということです。

通常、私たちは山が見えたらもともと山があるから見えるのだと思いがちですが、カントの主張はその真逆なのです。
私たちがそれを山だと思うから山を見ることができるということです。カントがなぜそのように主張するのかを以下でさらに詳しく解説します。

人間は物事そのものをありのまま認識することは不可能

人間が物事のありのままの姿を把握することは不可能です。
当たり前ですが、宇宙全体を一気に見ることはもちろん不可能ですし、そのほかにも聴力や視力などにも限界があります。

だから、人間がこの世のすべてを理解することは到底不可能なのです。
すべてを理解したと言う人間はむしろ主観的・独善的なことを言っているに過ぎないのです。

では人間はどこまでの範囲であれば知ることが可能なのでしょうか?
それがわかるためには、人間の認識が成立する条件がわかれば証明できますね。さらに詳しく解説します。

空間や時間は人間が現象を認識するための条件・基盤

空間や時間についても、私たちはもともと外の世界を成り立たせるルールや法則だと思い込んでいることが多いですが、実は違います。

空間や時間というのは、人間の認識の条件・基盤なのです。
外の世界の枠組みではなく、人間の脳が物事を理解するための枠組みなのだとカントは主張します。

また、空間と時間が作用して人間が物事を認識できるとしても、それは世界そのものではありません。
あくまで人間が認識できる範囲で浮かび上がった像(現象)なのです。

このように、人間がどのようにして現象を認識できるかを突き止めることで初めて客観的に物事を捉えられるのです。

これまで認識が対象に従うとされてきた考えが覆された瞬間です。
実は私たち人間が持つ認識の基盤がもともとあり、それに対象が従うことで現象を捉えることができるのです。
「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」ということは、そのような意味です。

まとめ

人間は、物事のありのままを認識することはできません。
すべてを理解したという宗教家やスピリチュアルな人たちがいますが、そんなことは不可能なのです。

そもそも人間の肉体で生活してる以上、限界があります。
物事のすべてをわかったという人間こそ、主観的で独善的な考えを持っているのであり、かなり厄介な存在になります。

現象(目の前に現れている物事)を認識する条件があり、それを考慮することで客観的な認識が可能となるということをカントは主張しているのです。

さらに詳しく知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

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