こんにちは、米澄岳弥(Yonezumi Takaya)です。
大学生の時は、中二病マックスで人生に意味はないと思っていました。
その頃から大分考え方が変わったのでシェアします。
人生に意味がない理由は交流していないから
経済で例えてみる
モノに価値が宿るのは、モノとモノを交換するからです。
石とか置物とかそれ自体では何も価値はありませんよね。
食べ物みたいに実際に日常生活で役立つようなモノではありません。
しかし、石と置物を物々交換したら、その二つは同じ価値(=値段)を持つことになりますよね。
石や置物それ自体では何ら価値を持つことはなくても、交換することで価値が生じるのです。
人間も一緒
人間も同様です。
人間社会の中で人と関わることで初めて自分に価値が生じます。
他人と関わることで自分の独自性がわかり、自分なりの社会貢献の方法がわかります。
逆に、人と関わらないといつも孤独なので価値を感じられなくなります。
当たり前すぎるくらい当たり前ですね(笑)。
「人生に意味がない」と思っていた当時の私は、単純に社会に出るのを怖がって動きを止めていただけだったんですね。
お恥ずかしい限りです。
人間は生まれながらに価値はないのか?
このように反論する方もいらっしゃると思います。
いや、人間には生まれながらにちゃんと価値があると思う。経済の論理で人間を勝手にモノ扱いするのおかしいんじゃないの?
お気持ちはよくわかります。
人間には生まれながらに価値があるという前提があって、そのような素晴らしい人間を育てようという思想で教育が行われますからね。
僕のこの話を聞いたら、「じゃあ、人間には価値なんてないのか」と思ってしまう人もいると思います。
私から言えることは、「人間が生まれながらに価値を持つかどうかはわからない」ということです。
もっと正確に言うと、人間が生まれながらに価値を持つかどうかをわかることはできないと主張します。
詳しい内容は「ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考をわかりやすく解説」に書いていますのでよかったら読んでみてください。
話しを戻します。
人間が生まれながらに価値を持つかどうかは私にはわかりませんが、どちらにせよ人間社会で言葉を交わし、労働することで価値を持つことは明らかです。
もし、生まれながらに価値を持つのであれば、人間社会での交流(会話・労働)でよりその価値は明確になります。
もともと生まれながらに価値がない場合でも、交流によって価値は創出されます(経済交換の論理と同じです)。
だから、「人間は生まれながらに価値はあるのか?ないのか?」と問うこと、議論すること自体に意味がないのです。
社会に出るのを怖がわらずに動いて自分なりの居心地のいいポジションを見つけて楽に生きましょう。
どうしても怖いなら超スモールスタートで大丈夫です。
何かしら動き出せばそれで十分ですから。
ブログは以上です。