こんにちは、米澄岳弥(Yonezumi Takaya)です。
今日はヴィトゲンシュタインの論理哲学論考をわかりやすく解説します。
学生時代からほぼ毎日哲学書を読み続けていますが、ヴィトゲンシュタインはなかなか強敵でした。
しかし、最近読み返してみると思いのほかフッと理解できたのでブログにしました。
- ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考がわからない
- ヴィトゲンシュタインの問題意識がわからない
- 論理哲学論考がわかるとどんないいことがあるのか知りたい
- 哲学が何の役に立つのか知りたい
このような思いを持つ人には有益な記事となっていますのでぜひ楽しんでくださいね。
それではどうぞ。
ヴィトゲンシュタインの論理哲学論考をわかりやすく解説
人間が話す言葉について
まず始めに、私たち人間が使っている言葉について解説します。
人間が言葉を使って説明するとき、どのようなことが起きるでしょうか?
もし、「今日の東京の天気は雨だ」と僕が言って、実際に東京で雨が降っていたら僕の発言は真実(正しい)ということになりますね。
なぜ、私たち人間は、真実を言い当てることが可能なのでしょうか?
それは、言葉と現実それぞれが持つ法則や構造が同じだからです。
ここがヴィトゲンシュタインの特徴的な考え方です。
通常、私たちは言葉が存在する前にそもそも物質や世界があり、それに名前をつけるために言葉を発明したと思い込んでいます。
しかし、ヴィトゲンシュタインはそうは考えません。
真実を言い当てることができるためには、つまり事実がいかにあるかを語ることができるためには、言葉と世界が同じ構造を持っていなければならないという発想なのです。
構造そのものは説明できない
言葉と世界が同じ構造を持っているからこそ、人間は言葉で真実を言い当てることができることを説明しました。
そこで、このように思う方もいるのではないでしょうか。
「もし言葉でその構造そのものを説明できたら、世界の全てを説明したことになるのでは!」
実は、過去の哲学者たちも皆同じように考え、さまざまな天才たちが言葉でこの世界の構造や法則を説明しようとしてきましたが、すべて失敗に終わっています。
なぜ失敗に終わってしまったのか?
その理由は、構造そのものは説明できないという点にあります。
言葉と世界に共通する構造、これをヴィトゲンシュタインは「論理形式」と呼びました。
この論理形式は、言葉や現実の外側にあるものです。
言葉や現実の外側にあるからこそ、二つをコントロールすることができます。
つまり、言葉で説明しようとする時点で、論理形式の中にいるのです。
物事の中にいながら同時に外側に立つことはできませんよね。
わかりやすい例として、私たち人間は自分自身を直接目で見ることができません。
もっと厳密にいうならば、目で自分自身の目を見ることはできません。
同じように、言葉で言葉の外にあるものを説明することはできないのです。
「本当の自分」や「倫理」なども自分や世界の外側にいるものなので論理形式に属するので説明することはできません。
よって、本当の自分や倫理などの哲学的な問題は説明することがそもそも不可能とヴィトゲンシュタインは主張します。
人間の言葉を分析した結果、それ以上向こう側にはいけない壁のようなものにぶち当たり、そこから外の世界は言葉で説明できません。
論理哲学論考の最後の言葉は、「語りえぬものには、沈黙しなければならない」で締めくくられていますが、
言葉をルール付ける論理形式そのものは説明できず、
従って、倫理や世界の法則なども説明することはできないということなのです。
論理哲学論考から何が学べるか
ヴィトゲンシュタインの功績は、人間の思考はどこまでの範囲を考えることができるのかを明確に線引きしたことです。
ここまでは言葉で考えることには意味があるけど、ここから先はどうあがいても語りえないから考えるだけ無意味というはっきりした結論を出してくれました。
私は、この本を読んで本当の自分なんてものを頭でいくら考えても無意味なんだなとはっきりわかりました。
以前は、哲学が好きなこともあいまって「本当の自分とは何か?」「自分は何がしたいのか?」などのテーマを考え抜いてきました。
しかし、それは考えても無駄なこととヴィトゲンシュタインから教わったので頭で考えなくなりました。
言葉のルールの外側にあるもので説明ができないので、いくら言葉で考えても答えは出ないものだとはっきりわかったんですね。
それが自覚できてからは、答えが出ない問題に頭を悩ませることが少なくなりました。
それよりも、ルールの中で活動しまくって、真実(言葉と世界が一致する事実)を一つ一つ丹念に確かめていく方がよほど生産的だと気づきました。
言葉と世界は一致すること、不一致することがあるので、それを丹念に紐解き続けることが真実に近づく唯一の方法だとわかりました。
論理形式の中で真実か嘘かを見分けることは可能なので、そこは前向きに捉えましょう。
頭で考えるのはほどほどに、活動を増やしましょう。
そして、語りえないものについても、言葉で語らないという姿勢を貫きましょう。
わからないことを知ったかぶりして偉そうに語るのではなく、語らないというやり方で言葉の外の世界を示しましょう。