こんにちは、米澄岳弥(Yonezumi Takaya)です。
哲学を勉強し続け、10年が経ちました。
今回は、哲学といえばこの人と言ってもいいソクラテスについて解説します。
ソクラテスの思想をわかりやすく解説していますので、ぜひ読んでいってくださいね。
それではどうぞ。
ソクラテスの思想についてわかりやすく解説
「無知の知」について
ソクラテスと言えば、「無知の知」という言葉がとても有名ですね。
この言葉が意味するのは、「自分たちが何も知らないという自覚を持つこと」です。
そもそも、人間はすべての物事を完璧に知り尽くすことなどできません。
今この瞬間、世界で起こっていることすべてを説明しようとしても無理ですよね?
今この瞬間、身の回りで起こっている出来事を説明しようとすると、おそらく一生かかっても無理だと思います。
それくらい、この世界の情報量は人間の脳で処理することができないほど膨大です。
以前のブログでも書きましたが、そもそも人間が知覚できる範囲は限られているのでさらに無理ですね。
ここまで聞くと、「なんだ、結局人間はすべてを知ることができないから勉強とか頑張っても意味ないや」と思う人もいると思います。
ここで話が終わらないのがソクラテスです。
ソクラテスは『饗宴』という本の中で、エロスという神様について深い考察をしています。
実は、それがこの「無知の知」と密接に関わっていて面白いので解説します。
ソクラテスのエロスについての考察
ソクラテスは、始めに神様と愚か者について考察します。
神様は完璧な全知全能の存在です。
知識も富も幸福もすべてをもともと永遠に所有しています。
だから何かを新たに追い求めたりはしません。
もうすでに手に入れているのですから。
一方、愚か者はどうでしょうか。
愚か者は文字通り本当に愚か者なので、何かを知ることがそもそもできません。
幸せとか富とかそういう概念を知ることができないので、神様と同様何か良いものを追い求めることはしません。
しかし、エロスという神様は違います。
エロスは『饗宴』の中で父ポロス(機知と策略の神)と母ペニア(貧乏神)の子と言われています。
アフロディテが誕生したときの話だ。そのとき、神々は祝いの宴に集ったが、その中にメーティスの息子のポロスという神がいた。さて、祝いの宴の終わるころ、宴ではよくあることだが、物乞いの女がやって来た。ペニアだ。そして、彼女は戸口にたたずんでいた。他方、ポロスのほうは、すっかり神酒ネクタルに酔ってしまった。
〜中略〜
そして、彼はゼウスの園に入り込み、酔い潰れて、眠り込んでしまった。そこでペニアは一計を案じた。ポロスから赤子を授かり、自分が陥っている苦境から抜け出そうとしたのだ。そして、彼女はポロスと寝て、エロスを身ごもった。
エロスはこのような出自なので、いつも貧乏と欠乏の隣りあわせで生きています。
しかし、父の性質も受け継いでいるので、美しいものや良いものを常に狙っています。
エロスは、全生涯をかけて知恵を愛し求めるものなのです。
何かを愛し求めるということは、求めるものをまだ手に入れていないことを意味します。
だから、エロスは全知全能の神ではありません。
しかし、良いものが何かをわかっていて、それを追い求めることができるので愚か者でもありません。
エロスは賢さと愚かさの中間に位置する存在なのです。
エロスの性質は、私たち人間とよく似ている
ここまでの話を聞いて、エロスは私たち人間とよく似ていると思いませんでしたか?
人間は普段から、知恵や良いものを自分のものにしようと努力していますよね。
つまり、私たち人間は、常に良いものを追い求めることで人間らしさを保っていると言えます。
だから「すべてを知り尽くした」という類の言葉はあり得ないのです。
そもそも、人間はエロスと同様、完璧な存在ではないのですべてを知ることはできません(何度もすみません)。
「すべてを知り尽くした」「これ以上学ぶことはない」というのは、狭い世界で自己満足に浸っているに過ぎないのです。
ソクラテスの「無知の知」は、人間が無知を自覚して自分の知らない新しいことをどんどん探求するための言葉であり、決して人間が何も知ることができない愚かな存在とは言っていないのです。
ソクラテスの思想から学べること(まとめ)
「無知の知」は、人間の無能さを示しているのではなく、むしろ狭い世界に閉じこもるなというものです。
「俺はなんでも知っている」「すべてを知っている」という発言は、ソクラテスからすれば嘘でしかないです。
人間はエロスと同様、常に良いものを追い求めて生きている存在です。
知識や富など、良いものを手に入れることはできるのでそれを存分に追い求めたら良いのです。
もし、私たち人間が究極の愚か者だったら、それが良いものかどうかの判断がつきません。
私たちは決して愚かでもないのです。
だからこそ、自分が良いと思うものがあれば、それを手に入れるべく行動しましょう。
新しいことを知りたいのであれば、それをすでに実践している人の元へ行き、実際に学んで議論してみましょう。
もしそれが思っていたものとは違ってもいいのです。
その後にもっと良いものが見つかるはずです。
実際に手に入れてみて初めてそれが良いものだったかどうかもわかります。
無知であることは何も恥じることではありません。
そもそもみんな何も知らないのです。
エリートだろうが、凡人だろうがその点は同じ人間です。
自分が無知であることを自覚するときは、もっと知らない世界が広がっていることを自覚することでもあります。
無知であることは、何か良いものを追い求めることにつながることがお分かりいただけたでしょうか。
退屈や不満などの感情は、ソクラテスの思想とは真反対のものです。
自分が追い求めるものを明確にし、それを手にするためにどんどん行動しましょう。